都市の住民が農山漁村で休日を過ごす体験の宿が全国的に定着してきた。農村の稲刈り、山村のキノコ狩り、漁村の漁??だけでなく、体験プログラムにはいまや四季を通じて多様な体験サービスが準備されている。一方で、あえて体験プログラムを設定せず、都市住民の「やりたいこと」を尊重し手助けする宿もある。群馬県片品村にある旅館「みやま」を訪ねた。
「うちには体験プログラムなんてありません。お客さんが勝手にやりたいことをやって満足して帰っていく。そのお手伝いをしているだけ」。地元の小中学校で12年間教壇に立った後、家業の旅館を手伝うようになった星野恵美子さん(44)は開口一番言い切った。
群馬県片品村花咲にある旅館「みやま」。JR上越新幹線の上毛高原駅から車で北東に約50分。木造2階建て約330平方メートルで、72年に農家民宿として営業を始めた。恵美子さんと父文次郎さん(69)、母秀子さん(64)の3人で切り盛りしている。
近くの名所には尾瀬沼、日光東照宮などがある。だが、それを主な目的にする宿泊客は少ないという。みやまでは、パンフレットなど宣伝に経費をかけていない。都市の住民には口コミで広がり、リピーターが経営を支えている。
9月21日の日曜日。3泊4日したという横浜市神奈川区西大口の元タクシー運転手、鈴木辰郎さん(74)、淑子さん(73)夫妻に聞いた。雨の中、鈴木さん夫妻は星野さんの畑でぬかるみに足を取られながら、熱心に真っ赤に熟したトマトをもいでいた。さらに納屋で文次郎さんが取ってきたトウモロコシの皮むきを手伝った。「ただのんびりしたくてついて来た。緑が多くて朝夕の散歩がとても楽しかった。本当にゆっくり出来ました」と淑子さん。
鈴木さんは竹とんぼが好きで、運転手時代から乗客に手作りの竹とんぼをプレゼントしていた。退職後、幼稚園や小学校などでボランティアとして竹とんぼの作り方を教えてきた。2度目の宿泊となった今回、鈴木さんは星野さんの仲介で、地元の保育園で竹とんぼを飛ばしたり、園児たちに竹とんぼをプレゼントした。「楽しい思いができたうえに野菜までお土産にいただいた」と満足げだった。
テーブルとソファが置かれた1階の居間では、さいたま市大宮区にある燃料商社「佐藤興産」の男性社員ら6人が星野さん一家を交えて歓談していた。雨降りなので恒例の野菜の収穫はやめにして、部屋でのんびり過ごすことにしたという。
社員の一人、鈴木隆さん(52)は、当初はスキー客として来ていたが、星野さん一家と意気投合し、約20年間毎年訪れている。鈴木さんは「都会のストレスで頭の中が煮詰まってくると、ここへ癒やしに来るんだよ。ただ星野さんに会いたいから」と話した。
昼食に秀子さんが香ばしいにおいのする「たらし焼き」(通称・やきもち)を出してきた。小麦粉を練り固め、みそとネギを載せて焼いた郷土料理で、これをつまみに鈴木さんたちは一杯飲む。すると突然、同社OBの木村貴英さん(65)が尺八を吹き始めた。退職後に尺八と琴を習い、尺八のグループでもここへ泊まりに来ているという。
文次郎さんは「経営は大変だけど、都会から来るお客さんとの交流が楽しい。『おじさん』って慕ってやって来てくれるので、うれしくてトウモロコシ100箱ぐらいあげちゃう。金には代えられない魅力があるんだよ」と相好を崩した。
体験プログラムはないが、客が望めば田植え、稲刈りなどの農業体験も可能だ。星野さんの畑にない野菜が欲しければ、近所でその野菜を栽培している農家に頼んで収穫できる。魚のつかみ取り、キノコ採りなども地域の協力でできる。
星野さんは「うちに来るお客さんは高級ホテルのようなサービスを求めてくるわけじゃない。新鮮な空気とおいしい水、雄大な自然があればいい。ディズニーランドじゃないけど、この地域の全員がキャスト。ありのままの田舎の暮らしを見てほしい」と話した。
◇農村振興にも一役
グリーン・ツーリズムとは、都市の住民が農山漁村で農林漁業体験や宿泊を通じて地域の自然、文化、住民との交流を楽しむ余暇活動のこと。ドイツなど欧州諸国では長期休暇の過ごし方として定着している。
日本では92年に農村での新産業育成と雇用の確保を目的に農林水産省が提唱。95年には農山漁村滞在型余暇活動促進法(農林休暇法)が施行された。
財団法人「都市農山漁村交流活性化機構」によると、00年3月末現在、農家民宿(山村、漁村の民宿を含む)は全国で5054軒。年間の利用者総数は873万8366人(99年実績)。民宿1軒当たり1729人が宿泊したことになる。
また、農山漁村での各種体験サービスは多様化している。長野県飯山市のようにパラグライダーなど20種類の高原スポーツが楽しめるレジャー的な要素の強い体験もあれば、栃木県茂木町での荒れた棚田の復田作業など農家の手伝いを兼ねボランティア的な要素を取り入れた体験もある。
同機構の花垣紀之・体験農業推進部副調査役は「最近出回っている体験プログラムは、ただこなすだけの『金太郎あめ』。地元住民と交流したり地域の特性を実感する体験がなければ、そこ(田舎)に出かける意味はあまりない」と話す。 |