柿は古くから日本の秋の代表的な味覚として親しまれてきた。「柿が赤くなれば医者が青くなる」。そんな言葉もあるほどビタミンAやCが豊富で、最近の研究では、ガンや脳卒中の予防にも効果があると報告されている。郷愁を誘うあの甘さを味わいたくなって調べてみると、甘柿の代表的品種「次郎柿」の原木が静岡県森町にあるという。訪ねると、そこには発祥の地としての意地と皇室への献上柿を作るプライドで栽培を続ける農家の人たちがいた。
◇次郎柿の原木の町、森??皇室献上も90年
東名高速袋井インターから県道を北上し、森町に入る。田畑が一面に広がり、ほとんどの家の庭先に柿の木がたわわな実をつけている。JA遠州中央柿部会会長の藤田昭吾さん(73)は収穫作業の真っ最中だった。
「森じゃ柿はどこの家にもあるが、本当に良い柿を作るには手がかかるもんだ」。長年の農作業の証しなのだろう、ごつごつとした手で収穫したばかりの柿をなでながら藤田さんは話を始めた。父の代から柿を栽培し、自宅そばの約2000平方メートルの畑に柿の木が並ぶ。
栽培で難しいのが実が大きくなり始める時期で、害虫駆除を怠ると成長した実に黒い筋ができてしまう。「夕方に収穫してはいけない」というのも柿農家の常識だ。夕日に照らされた柿は、まだ青くても赤く見えてしまい、収穫時期を誤ってしまうためだという。
柿は、日本原産説や中国渡来説があるが、縄文時代の遺跡から種が見つかるなど古くから親しまれてきた。学名も「KAKI」と日本名で記される。
県みかん園芸室によると、静岡県の甘柿の収穫量(01年)は5389トンで、全国7位。県内最大の生産地(栽培面積)は浜北市で、森町は5番目。一見平凡に見える森町が特別なのは、次郎柿の原木があることと献上柿のおかげだ。
江戸時代後期、松本治郎さんという人が洪水で流れてきた幼木を自宅に植えたのが始まりで、原木は今も町役場からほど近い住宅地に立っている。一方、献上柿は明治時代から続き、今年で90回目。前年の品評会で入賞した農家などが栽培し、500個の中から選び抜かれた120個が献上される。太田忠兵さん(64)は、4代にわたって作り続ける献上柿のスペシャリストだ。
「献上は大きな励み。毎年少しでも良い柿を目指し試行錯誤している」と語る太田さんも、今年の悪天候には苦しめられた。献上柿は10月に入ると農薬をやめるが、その後の長雨で病気の被害を防げなかったからだ。
次郎柿は気温が低い土地では渋みが残り、逆に高い所では青いうちに柔らかくなっておいしくなくなる。県内では「東海道(国道1号)以南は栽培に適さない」と太田さん。同町は土質も適し、農家は「味には自信がある」と口をそろえる。
気になる今年の出来はどうなのだろうか。品評会で審査員を務めた県経済連西部総合事務所の杉本光義さん(35)によると、出品された次郎柿の平均糖度は15・3度で、例年よりも低めだった。冷夏や長雨が影響しているという。町内のJA集荷場に出荷される数量も例年の2?3割減だ。
柿は、実に含まれる種をまいても、渋柿になってしまう。甘柿を実らせる柿の木を育てるには、種をまいて1年育てた「台木」に、成木の枝を接ぎ木して初めて、甘柿をつける苗木が育つ。現在、主流の「早生(わせ)次郎」は、三重県生まれの品種だが、20年ほど前から森町にも導入されている。
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藤田さんにもらった柿をむいて食べた。口に入れてかむと、しゃくっとした歯ごたえとともに豊かな甘みが口いっぱいに広がる。甘さは、飲み込んでもしばらく口に残るほどだった。「柿の甘さは、その昔お菓子の甘さの基準になった」。そう聞かされたことを思い出し一人うなずいた。
◇柿で作った新商品
森町では今、原木や献上柿のブランドを生かし商品開発の動きが活発だ。森町商工会が商品化した「次郎柿ワイン」は4年目の今季、1万本の販売を予定。町内の企業などで作る遠州特産品開発協議会は昨年、黒こうじを使ってクエン酸発酵させた清涼飲料水「柿酸(かきす)」を販売し、当初予定の2倍を売るヒットに。今年は天然あめに取り組む。(「アクティ森」支配人・永田啓さん) |