究極の白身魚といわれるフグは、繊細な味と歯ごたえを持ち、古くから粋人や文人に愛されてきた。「ふぐは食いたし命は惜しし」。その言葉通り、江戸時代はフグで中毒死した場合はお家断絶の厳しい処置をとる藩もあったというが、それもあまりの美味のためだろう。まさに冬の味覚の王者というべきだが、本場・下関に水揚げされる天然トラフグの4分の1は、舞阪漁港で水揚げされたものという。漁期も10月から始まったと聞き、さっそく漁港に向かった。
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午前5時半。身を切るような寒さの中、漁師になって27年という鈴木邦夫さん(46)の「妙将丸」に乗り、舞阪漁港を出港した。約30分間暗い海を進むと、静岡、愛知の県境の沖合10キロに着く。ロープに多数の釣り針を付けて海に沈めて釣り上げる「底はえ縄漁」だ。
餌のイワシとアジを付けたロープを海に投げ入れ、しばらくしてから今度は電動でロープを巻き上げる。トラフグがかかると父の昭五さん(72)が網ですくう。釣られたフグは怒り体を大きくして互いにかみ合うため、手慣れた手つきで下歯を折り、いけすに放り投げる。この日は昼過ぎまでに33匹。悪天候続きで8日ぶりの漁だったが、邦夫さんは「まあまあかな」とほっとした顔つきになった。
02年に国内で水揚げされた天然トラフグ約600トンのうち、静岡、愛知、三重の3県合計は360トンと全体の6割。養殖技術が発達した今では、天然ものの約10倍の養殖ものが流通するが、歯ごたえも甘みも天然ものに勝るものはないという。
舞阪漁港が一躍、知られるようになったのは、トラフグが92トンも水揚げがあった89年。折しもバブルの時代で、フグの値段も高騰し、「1日で30万円もうけた仲買人もいた」と邦夫さん。それまでは他の漁の片手間だったトラフグ漁がこれ以降完全に定着し、漁船も70隻前後まで増えた。
しかし、乱獲がたたって徐々に水揚げ量は減り、96年には5トンまでに落ち込んだ。その後、稚魚の放流などの努力が実を結び、02年は73トンまで戻し、今年と来年は30?50トンの見通しだ。
せっかく水揚げしたトラフグをわざわざ下関にまで運んでいる理由の一つが、遠州地域には毒のある部分を取り除く「身欠き」の工場がなかったこと。地元ではトラフグはほとんど食べられず、舞阪の水揚げの8割が下関へ残り2割が名古屋や東京に運ばれていた。
だが、冬の味覚の王者を観光資源に生かさない手はない。その試みが今年ようやく始まり、「身欠き」の機能を持ったフグ調理工場が同市舘山寺町のホテル内に作られた。舘山寺や弁天島のホテルや旅館で今年から忘年会の季節に合わせ、初めてトラフグを使った料理が提供されている。
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そのてっさ(刺し身)と、てっちり(フグ鍋)を味わった。白く透き通った刺し身に酢じょうゆをつけてほおばると、コリコリとした歯ごたえと甘みが感じられる。てっちりは白く肉厚な身を薄めのポン酢で味わった。白身ならではの上品なうま味が口の中に広がった。
舞阪漁港では漁師の高齢化問題に直面しつつある。トラフグ漁船の約7割が60代以上の漁師のものという。私を漁船に乗せてくれた邦夫さんも「10年後はどうなっているか分からない」と嘆いていた。
取材で、下関では「ふぐ」と濁らず「ふく」と呼ぶと聞いた。「不遇」ではなく「福」につながるからだが、舞阪のフグも「ふく」となるよう祈りたくなった。
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◇てっちりのおいしい食べ方
水の状態から昆布を入れて煮立て、すぐに昆布を取り出す。フグのあらを入れてから身を入れ、そのあと火の通りにくいものから野菜を入れる。ポン酢は薄めのものを使い素材の味を楽しむ。最後はぞうすいだが、塩だけを入れて楽しむのが、通の食べ方。(舘山寺のふぐ加工処理工場・新村行司工場長) |