高知城は多くの遺構が現存する日本でも珍しい近世城郭
山内一豊によって大高坂山に築かれた高知城は、江戸期の各建築物の多くが現存する国内でも珍しい例にして、貴重な歴史資料となる城である。
この大高坂山には、南北朝時代にも城が築かれていたとされるが、その詳細は不明である。また、戦国期にこの地を統治した長宗我部元親も築城を行うが、度重なる洪水に見舞われて放棄したといわれる。
山の頂には本丸をはじめ、二の丸、三の丸が並び、石垣と多くの門、櫓に守られていた。また本丸には困層六階の天守が鎮座する。前述した通りこれらの多くが姿を留めるが、それでも明治の「廃城令」のおりには、ほかの城と同様に破壊された建物は少なくないようだ。
高知城には多くの遺構が現存
高知城は享保12年(1727)の大火により、追手門を除く城郭の大半が焼失。遺構の大半は延享4年(1747)に再建され、ほとんどが現在まで残っている。特に連結された天守と本丸御殿(壊徳館)は貴重で、現存する御殿の遺構は全国でも少ない。
高知城の豆知識
往時の姿をそのまま残すといっても、まったく{可もされていないわけではない。昭和23年(1948)より各建造物の保存修理が開始されるなど、後世に引き継ぐために多くの技術と労力が投入されている。