五稜郭は大国の侵略に備え築かれた国内最大級の稜堡式城郭
安政元年(1854)、日米和親条約が締結されると、下田とともに箱館(函館)が外国船舶の補給港として開港されることになった。江戸幕府はこれを機に松前藩領であった箱館を直轄地とし、箱館奉行所を設置。さらには、欧米列強の脅威から箱館港を守るため、蘭学者の武田斐三購に設計を命じ築城したのが、五稜郭(正式名称「亀田役所土塁」)である。
五稜郭の最大の特徴は、それまでの日本で主流であった高い城壁を持つ和式城郭ではなく、高さを抑えた稜堡式城郭を採用しているところにある。これは、発達する火器類に対応するため16世紀にフランスで考案された築城様式であり、四方八方に飛びだした稜堡によって死角を無くし、効率良く敵を迎え撃つことが可能となっている。
築城当時は郭内に箱館奉行所庁舎などが建てられたが、「箱館戦争」で一部が焼失。さらに明治政府によって大半の建物が解体された。しかし、平成22年(2010)に箱館奉行所の一部を復元、現在は一般公開されている。