盛岡城

盛岡城は膨大な年月と予算を掛け築きあげられた石の芸術

盛岡城の建築開始年には諸説あり、正確な年号は分かっていない。しかし1590年代に、盛岡藩初代藩主。南部信直によって開始されたのは確かなようである。現在では北上川が東へ移されてしまったが、当時は北上川と中津川の合流地点に築かれ、東。西。南の三方向を天然の水濠が囲む形となっていた。だがこれが災いし、川の氾濫が相次いだために工事は難航。盛岡城の全城が完成したのは寛永10年(1633)、3代藩主・重直のときである。

盛岡城の築城当初は三重天守が東南にそびえていたが、明治に入って取り壊され、今は本丸、二の丸、三の丸、淡路丸の曲輪と堀が残るのみである。けれども、土塁の多い東北では珍しい白御影石を用いた曲輪の石垣は、日本でも有数の規模を誇り、見応えは十分。毎年12月下旬から2月末まで、夜間はライトアップされ美しさを際立たせる。また、石川啄木が学生時代によく訪れていたことで知られ、城内には彼の読んだ歌碑や詩碑が設置されている。

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