松前城は津軽海峡防衛のために築いた最後の日本式城郭
松前半島の南、津軽海峡を望む松前城は、外国の脅威に備えて築城された日本最北かつ最後の日本式城郭である。元来この地には、松前慶広によって福山館が築城されていた。しかし、ロシア南下に伴う警備強化の必要性から、12代藩主・崇広が幕府の命を受け、嘉永3年(1850)にこれを大改修。7基の砲台と計37門の大砲を備えた、日本式城郭ながら西洋の軍事様式も取り入れた城が誕生。
縄張は高崎藩の兵学者。市川一学によるもので、25門の大砲を津軽海峡へ向けて配置し、城壁には鉄板を仕込むなど海防を重視。そのため、成辰戦争では手薄となった背後から上方歳三らに攻められ、わずか1日で落城してしまう。しかも、肝心の海側への砲撃も、飛距離不足のため敵軍艦には届いていなかったという。戦いの痕跡は現在でも残されており、城の石垣に弾痕を見ることができる。
天守は昭和24年(1949)に焼失。現在の三重天守は昭和36年(1961)に再建されたものである。本丸御門と本丸御殿の一部が往時の姿を留めており、本丸御門は国の重要文化財に指定されている。