二本松城は少年たちが命を賭して守ろうとした山頂の城
標高345mの自旗が峰に残る二本松城は、嘉吉年間に奥州探題を命じられた畠山満泰に築かれた山城である。以降、長年に渡り畠山氏の支配が続くが、天正14年(1586)に奥州制覇を狙う伊達政宗に攻められ畠山氏は滅亡する。天正18年(1520)より蒲生氏、松下氏、加藤氏と城主を代える。この間、石垣を用いた近代城郭に改修、近世の平山城へと姿を変えた。
寛永20年(1643)からは丹羽氏10万石の居城となり、幕末を迎える。しかし、「成辰戦争」では新政府軍に攻められ落城し、城内の建物すべてが焼き払われた。現在は、箕輪門、二重櫓、本丸石垣などが再建されている。
二本松城の歴史|悲運の一本松少年隊
「戊辰戦争」の悲劇といえば若松城の自虎隊が有名だが、二本松城でも12歳から17歳までの少年で編成した部隊が戦死を遂げている。彼らは後世「二本松少年隊」と呼ばれるようになり、城内には二本松少年隊像が建てられている。