駿府城

駿府城は家康苦難の幼少期と天下取り後の居城に

天下人・徳川家康が今川氏の人質として幼少時代を過ごしたのが、駿府の地であった。最初に駿府城が築かれたのは天正13年(1585)、信長により今川義元が討たれたあと、家康と武田信玄とが共謀し今川氏を追ったのちのこととなる。

その後時代を経て、関ヶ原を制して天下人となった家康は、隠居し居城を駿府城に定める。慶長12年(1607)、家康は駿河城を改築し、六重七階(五重七階とも)の天守を持つ城を築いた。駿府城は御隠居。家康の居城としてふさわしい絢爛な城へと改築された。駿府城は家康終の棲家ともなり、この地で没している。寛永12年(1635)、天守は焼失し再建はされなかった。

二重の水路が本丸を取り囲む輪郭式縄張を持つが、各堀は細かく折れ曲がる様式となり、横矢を射掛けやすいよう計算されている。この縄張は藤堂高虎の手によると伝えられる。現在は二の丸、三の丸の堀の一部や馬出曲輪の石垣、大手御門の虎口などが残るほか、近年発見された資料から東御門、巽櫓が復元された。天守は寛永12年(1635)の出火で焼け落ちたのち、再建はされていない。

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