岩村城は女城主の悲劇を伝える日本三大山城のひとつ
別名「霞ヶ城」の名が示すように、霧の立ちこめるような山間に築かれた岩村城。その標高は717mにも達し、日本三大山城に数えられる。正確な築城年は不明だが、鎌倉時代中期には存在していたと考えられている。
戦国期に入ると遠山氏の居城となり、また武田信玄と織田信長の間で領有を争われた。遠山氏最後の領主景任は、信玄の侵攻を信長の助けも得て退けるが、元亀2年(1571)に病没。嫡男御坊丸がまだ幼かった(6歳とも)ため、景任の妻にして信長の叔母・おつやの方が実質上の城主となった。
世にも珍しい女性の領主だが、このおつやの方は武田氏の将・秋山虎繁に城を攻め落とされると、なんと虎繁の妻となってしまう。その後再び織田氏がこの城を落とした際には、信長は虎繁とともにおつやの方を逆さ礁にして切り捨てている。
天守は持たず、本丸、二の丸が無数の石垣で因われていた。追手門の手前には堀切があり、そこに軍橋と呼ばれる橋が架けられ、橋に面しては三重櫓が建てられていた。全て明治期に取り壊されるが、現在は太鼓櫓などが再建された。