津城は小規模な平城を藤堂高虎が大改築
古くから伊勢の要所として栄えた津。永禄年間(1560年頃)に細野藤敦が小規模な安濃津城を築き、のちにこの地を治めた織田信包が大改修を加えた。信包の改修により本丸、二の丸、三の丸に天守、小天守、多くの石垣と堀が築かれる。
慶長13年(1608)には豊臣氏から徳川氏へと付いた藤堂高虎の所領となり、津城と呼ばれた。再度の大改築を受け現在の縄張となる。
「関ヶ原の戦い」の折に天守は消失していたが、高虎は幅広い水堀や高石垣、櫓を整備した現在は城雌が「お城公園」として整備され、昭和33年(1958)には隅櫓が復元された。
津は有名な港だった
津はもともと安濃津と呼ばれ、これは古代に栄えた港の呼称であった。安濃津は伊勢神宮への供米を送る積出し港で、あり、日本で有数の港であったが、明応7年(1498)大地震で陥没し、港としての生命を失い廃れていったという。