日本の城と外国の城を比べてみたとき、その大きな遣いが城壁の有無である。ヨーロッパ、アジアなどに見られる城の多くは、町全体を城壁で取り囲む「城郭都市」を形成している。中国、漢時代の首都・長安では周囲約25km、高さ5mもの城壁で町が覆われていたとされる。いうなれば、町全体がひとつの城として機能していたのだ。
それに対し、日本の城は領主を守る構造にはなっていたが、城下の領民については考慮されていない。そのため、城郭都市は発達しなかったのだ。
ただ、領民にとって城郭都市が最良だったわけではない。町全体が城ということは、戦争の際は兵士とともに戦う必要があるし、壁に固まれているため自由に逃げることも許されない。そのため、往々にして多くの領民も被害にあった。事実、1618~1648年にかけてドイツを舞台に繰り広げられた「三十年戦争」では、皇帝軍に刃向かった城郭都市マクデブ、ルクの領民約3万人が虐殺されている。
ほかにも城を造る材料の違いなどがあげられる。日本の城は主に土と木で造られているが、ヨーロッパなどを見ると、石造りの城が一般的だ。これは、加工しやすい堆積岩が理由にあげられる。