鉢形城は豊臣軍の猛攻にも耐えた要害堅回な難攻不落の城
荒川とその支流・深沢川に挟まれた鉢形城は、ふたつの川を天然の堀とした要害の城である。戦国時代には北条家の支城のひとつとして、前田利家、上杉景勝を大将とした3万を超える豊臣軍の攻撃を、わずか3千の兵でlヵ月近く守り抜いている。最後は、城兵の命と引き替えに開城することになるが、戦国を代表する名将を前にしても落城しなかったのは、立地に優れていたことが大きいであろう。
起源は平安時代、源経基の築いた城といわれる。だがこれについては確かな証拠もなく、史料として残されているのは文明8年(1476)、関東管領山内上杉氏の家臣、長尾景春の築城によるものだ。その後、城は北条氏の手に渡り、永禄3年(1560)ごろ、北条氏邦によって大改築され、本丸、二の丸、三の丸からなる連郭式の平山城が完成した。
先述した「小田原攻め」後に廃城となるが、近年の発掘調査で曲輪や堀が整備、四脚門が復元され、往時の姿を思い起こさせる。なかでも本曲輪は、荒川を背にした断崖絶壁の上にあり見応えは十分。さらに、城跡には鉢形城歴史館が建てられ、地域の文化や歴史を学ぶことができる。