一乗谷城は城下町と山城が別個に築かれた朝倉氏の本拠
戦国時代、織田信長と覇権を競い合った朝倉氏の居城が一乗谷城である。城の成立は戦国以前、室町後期となる文明3年(1471)。朝倉氏初代・孝景により、一乗山とその谷聞を城塞化することで築かれた。
南北に延びる狭い谷間の平地部の中心に一乗谷城が置かれ、その周辺には城下町が形成される。谷への入り口となる部分には頑強な2つの城戸(門)が築かれ、谷間の城下町を守護した。一方で一乗山に築かれた山城は、一の丸、二の丸、三の丸が無数の畝状空堀と土塁に固まれるようにして縄張された。今なお残る空堀群は、山中の移動を妨害するための備えである。
京に近いこともあり、「応仁の乱」から逃げてきた人々で城下町は多いに賑わっていたとされる。しかし、5代・義景が信長に敗れ、一乗谷城にも火が掛けられ灰蟻に帰す。
昭和制年(1968)には発掘調査が行われ、当時の繁栄を示す礎石群や茶室跡など、数々の史跡が発見されている。さらに、現在では朝倉氏の館や武家屋敷、町屋などの復元が進んでおり、往時の賑わいを肌で感じることもできる。なお、前述した発掘の出土品は、資料館にて展示、紹介されている。