金沢城は加賀百万石を治める壮大な名城となる
加賀一向一揆の拠点だった金沢御堂を織田信長の命により陥落させた柴田勝家が、佐久間盛政に築かせたのが金沢城である。その後天正11年(1583)に前田利家に領有されると、文禄元年(1592)には前田家に客将として招かれていた高山右近により大改修を受ける。さらに、利家の子・利長の代にも度々改修されている。
かつては五重の天守を持ち、長々と石垣、櫓が連なる壮大な城だったが、江戸期、明治期の度重なる失火で失われてしまう。だが現在でも高麗門と菱櫓からなる石川門、三十間長屋、丑寅櫓石垣などは残り、平成18年(2006)には五十間長屋や一部の櫓も再建されている。
三大名園・兼六園
日本三大名園のひとつとして知られる兼六園は、金沢城と隣接して存在している。加賀歴代藩主により長い歳月をかけて形がつくられた庭園で、当時は金沢城の外郭の一部ともなっていた。現在のような庭園となったのは13代・斉泰の時代である。