丸岡城

丸岡城は北陸唯一にして日本最古の天守を持つ城

北陸に唯一現存する「天守を持つ城」が丸岡城だ。現存天守では最古の天守とも言われる。天正3年(1517)に織田信長は越前を平定し、その領地を柴田勝家に与えた。その勝家の甥・勝豊によって築かれたものである。

現在も残る二重三階の天守は、笏谷石と呼ばれる石製の瓦を葺いている。これは通常の瓦では寒さに耐えきれず割れてしまうためで、豪雪地方の城らしい工夫が施されている。また天正4年(1576)築とされる天守の構造は、戦国期の建築事情を示す貴重な資料ともなっている。

天守を取り囲むように五角形の内堀、その外周にも複雑に折れ曲がる外堀を配した。現在も外堀の一部は水路として残されている。天正10年(1582)に勝豊が近江に移ると安井氏、青山氏、今村氏と城主を変え、慶長17年(1612)には本多成重の居城となる。現存する石垣はこの頃に積まれたと見られている。元禄8年(1695)には有馬氏が入り、以後は明治期まで領有された。

丸岡城は日本最古の天守だが成立年代に謎も残る

日本最古の現存天守というだけあって、その建築様式はその後におこる絢爛な様式とは異なり、無骨なものとなっている。石垣と天守の間に隙間があり庇で覆い隠している点、天守3階部分には外から柱がむき出しで覗く点、外壁に自木がそのまま使われている点などである。ただ天守の築城年には異説もあり、慶長年間に本多成重によって建てられたともいわれる。石垣は成重によるものだけに、同時期に一部改築された可能性もあるだろう。

丸岡城の豆知識

丸岡城の別名は「霞ヶ城」。城の建つ地には大蛇が守護神として住んでおり、いざとなれば霞を吐き城を隠してしまう、との伝説からつけられた呼称だ。実際に多湿な地域でよく霧が立ちこめていたようである。

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