水戸城を象徴した御三階櫓は太平洋戦争により焼失する
水戸城は鎌倉時代に馬場資幹が築城して以来、200年以上に渡り馬場氏の居城として引き継がれてきた。しかし、室町時代中期に江戸通房が城を攻略、さらに天正18年(1590)には佐竹義宣が江戸氏を滅ばして入城した。
義宣は本拠を大田城から水戸城へ移し、水戸城の大改修を開始する。だが、その半ばに秋田へ転封となり、徳川家康の5男・武田信吉に与えられた。信吉が亡くなると、家康の10男。徳川頼宣が入り、慶長14年(1609)には11男の徳川頼房が城を受け継ぐ。水戸城は頼房によって再び大改修され、徳川御三家のひとつ、水戸藩の居城として幕末まで世襲された。
城は北を那珂川、南を千波湖に挟まれた丘陵に築かれ、東から東二の丸、本丸、二の丸、三の丸が連なる遭穀素織州であった。城内の建物は大半が平屋だったとされ、二の丸に配された二重五階の御三階櫓が天守の役目を果たした。石垣を用いず土塁のみ造営されており、御三家のなかでは最も質素な造りといえる。