七尾城は七つの尾根に渡る難攻不落の山城
七尾城は能登を治めた畠山氏により築かれたとされているが、正確な築城年は不明である。戦国時代前期、1400年代半ばから1500年頃に成立したと見られている。
七尾城の名の由来は、城が7つの尾根にまたがっているためといわれ、松尾山を中心とした山中に曲輪が連なる、難攻不落の山城として知られている。天正5年(1577)には上杉謙信により落城するが、戦上手の謙信にしても、折良く流行した疫病と畠山家臣団の内応により、ようやく落とすことができたほどであった。
山の斜面を活かした縄張は現在も残るが、築かれた石垣の大部分は、後にこの城を治めた前田利家の手によるものだといわれている。また、尾根沿いに長大に伸びた曲輪を配しており、当時山頂部には重臣・長氏などの屋敷が置かれていたとされる。
本丸から見下ろすように家臣の屋敷が配されるという、畠山家内の主従関係を偲ばせる縄張だ。石垣の高さは最高でも4m弱程度で、天正期の石垣構築技術では、高石垣は組めなかったことを物語る貴重な資料ともなっている。