高取城は織豊系の築城技術が残る最大規模の山城
奈良県の吉野山系に連なる険しい山に作られた、代表的な近世山城が高取城である。そもそもは南北朝時代に、越智邦澄の手で築かれた城がはじまりと伝わるが、詳細はわからず、また一時期は廃城となっていた。
これを戦国大名・筒井順慶が修復した後、羽柴秀長とその家臣・本多氏によって近世城郭へと改築された。
近世に築かれた山城としては最大規模であり、また比高390mは日本一である。天守を持つ山城というのも珍しく、織豊系の特徴が色濃く見られる高石垣が今も残る。山そのものが要害となるのはもちろん、総延長約3kmの土塀、それを上回る長さの石垣などで防御された、難攻不落の山城として名高い。山城としてはこれまた珍しく水堀も備えていたが、これは防御のためというよりも、用水池として使われていたようだ。
縄張は尾根の北側と南側で大きく特徴を異にする。北側は尾根に沿い曲輪が連なるのみだが、南側は門構えに虎口、多数の櫓などで固められている。本丸には三重天守がそびえ、二重の小天守、幻もの櫓が配されていた。日本三大山城に数えられている。
高取城の豆知識
比高とは山麓から本丸までの高低差で、その数値が大きいほど攻めにくい城といわれる。同じ日本三大山城である備中松山城の比高は340m、岩村城は150mてある。