和歌山城は徳川御三家の居城として華やかに改築
和歌山城は、天正13年(1585)、小高い虎伏山に羽柴秀吉が簡素な城を築いたことにはじまり、慶長5年(1600)には浅野幸長により改築を受けた。また元和5年(1619)には徳川家康の第10子、徳川頼宣が城主となり、その名に恥じぬよう大改築が施され現在の姿となった。
縄張は天守曲輪と本丸を囲むように、二の丸、南の丸などが同心円状に取り囲む。大天守は三重で、小天守、乾櫓、二の門が多聞櫓で連結されている。ただし、当初の大天守は江戸中期に雷火で焼失、再建されるも第二次大戦時に空襲で再び焼け落ちている。
石垣から時代を読む
建てられてから2度の大改修を受けた和歌山城は、石垣に使われている石材で、築かれた年代を知ることができる。緑泥片岩は秀長時代の初期、和泉砂岩は浅野時代から徳川時代前半、熊野石は徳川時代の中期以降に積まれたものだ