徳川家康は岡崎城で誕生し、信長と同盟を組んで勢力を増しつつも、秀吉時代には関東へ国替え。しかしその地で約250年に渡る江戸幕府の礎を築き、天下を治めた。
岡崎城
天文11年(1542)
三河の拠点で家康誕生の地
今川館
天文18年(1549)
幼〜青年期を過ごした場所
浜松城
永禄11年(1568)
武田氏の侵攻に備えた城
駿府城
天正14年(1586)
豊臣政権から距離を置く
江戸城
天正18年(1590)
天下を取った江戸幕府の拠点
徳川家康の独立への道のり
徳川家康が生まれた三河(愛知県)の松平氏は、岡崎城を居城とする小領主であり、隣国尾張(愛知県)の織田氏に圧迫されていた。そこで家康の父。松平広忠は、駿河。遠江(静岡県)を領する今川氏を後ろ盾にこれに対抗する道を選び、人質として幼い我が子竹千代(家康)を今川氏に差し出した。ところがほどなく広忠が没し、松平氏も岡崎城も事実上今川の配下に組み込まれる結果となってしまった。岡崎の松平家家臣たちは今川に従属する屈辱に耐え、主家再興の日を待ち続けたのである。
一方、人質として駿河今川館で育った竹千代は元服し松平元康と名乗る。そしてヽ水禄3年(1560)、主君今川義元に従い尾張織田氏攻めに参加した。しかしこの戦いで義元と今川軍本隊は敵の織田信長によって壊滅させられてしまう。桶狭間の戦いであった。
総崩れとなり敗走する今川軍の中、元康は家臣団を集めて岡崎城へ入り今川家の支配から離れる道を選択。名を徳川家康と改め、ここに宿願の独立を果たすのである。
以降徳川家では岡崎城を家康誕生の城として神聖視すると同時に、主従が心をひとつにして苦難を乗り越えた精神的支柱の城として位置づけるようになった。