神社と寺院を巡る七福神詣で

七福神の多くは、神様の要素と仏様の要素とを合わせ持っている。そのために七福神詣では、幾つかの神社と数か所の寺院とを巡る形をとっている。

そのため神社に行けば、二拝二拍手一拝(二回頭を下げて二回拍手して一回頭を下げる)で参拝し、お寺では合掌(手を合わせる)して頭を下げて拝むことになる。
東京で最も馴染みのある隅田川七福神では、恵比寿様、大黒天、寿老神(寿老人)が神社で、毘沙門天、布袋尊、弁財天が寺院で祭られている。福禄寿の像を安置する向島百花園は神社でもお寺でもなく庭園だが、そこの福禄寿堂は仏教の形式でお参りするのが無難であろう。

神仏習合と七福神

明治維新の直後に、明治政府が神仏分離を行なって神社と寺院とを厳密に区別した。しかしそれ以前は、「神様も仏様も同じものである」と説かれてきた。これは平安時代なかば頃から、天台宗と真言宗の有力寺院の主導で神仏習合が行なわれてきたためである。仏ははるか昔から何度も生まれ変わってきたものだから、日本の人びとは仏の多くの姿の中で日本に生まれた時の姿を神様として祭ったというのが本地垂述説である。

この考えにもとづいて、天照大神が大日如来だとか、天神様(菅原道真公)は十一面観音だとかいわれた。そのため弁財天、大黒天、毘沙門天といった人びとに好まれた仏が、神社で神として祭られることも少なくなかった。しかし禅僧が好んだ道教の神、福禄寿と寿老人が日本の神と習合することはきわめて珍しい。

高僧として僧侶たちに慕われた布袋尊(布袋和尚)を信仰する神社もきわめて少ない。つまり福禄寿、寿老人、布袋尊の中国系の七福神は、お寺で祭られてきた例が多いのである。

この他に、本来は日本の神を祭る神社が仏教系や中国系の七福神を祭神とするように変わったところもある。市杵嶋姫命が弁財天、大国主命が大黒天と神仏習合した神社はかなりある。本来は隅田川の川の神を祭っていた白鬚神社(しらひげ)は、寿老人と結びついて寿老神と呼ばれるようになった。

しかし、これは特殊な例で、日本の川の神がすべて寿老人と結びついたのではない。