古代人に親しまれた大国主命

大国主命は日本神話に登場する神々の中で、最も人びとに身近な神である。大国主命は、古代の祖霊信仰からつくられた神であった。

出雲の人びとが、自分たちが住む土地を守ってくれる先祖の神を「大国主命」などと呼んだのである。大国主命には多くの別名があるが、これは各地の集団が祭ったさまざまな名前の土地の守り神が、のちに大国主命と同一の神とされて出雲の大国主命と同一の神となったことからくるものである。

大国主命信仰は、弥生時代中期にあたる一世紀なかば頃に出雲の首長(豪族)たちによつて作られたと考えられる。島根県斐川町の荒神谷遺跡から、一世紀なかばの358本の銅剣がまとまって出上している。
これは人口200人ていどから人口2000人ていどの大小の集団を治める首長が集まり、銅剣を一本ずつ持ち寄って大国主命を祭った跡だと考えられている。

このような出雲の首長たちによつて、大国主命と素妻鳴尊を主人公とする出雲神話が整えられていった。四世紀なか頃に出雲氏が出雲の豪族を束ねるようになり、六世紀に大和朝廷から出雲国造(出雲一国を治める地方官)に任命された。この出雲氏によつて、大国主命を祭する壮大な出雲大社が建てられた。

大国主命信仰の広まり

大国主命の神話は、大国主命が稲羽素兎を助けたことをきつかけにさまざまな試練を受けて立派な神になっていく物語である。それは若者の心の成長の物語を通して、子供たちに道徳を教えるものでもあった。

弥生時代の日本で祖霊信仰が広まっていたために、出雲で作られた大国主命信仰は日本各地に急速に広まり、大国主命が土地の守り神である国魂として祭られた。そのために日本人の多くが出雲神話を知ることになり、大国主命は日本人に最も身近な神になっていった。そのため今でも各地に大国主命を祭神とする有力な神社が残っている。

「神々が十月に出雲に集まって、人びとの縁結びを決める相談をする」といわれる。出雲大社境内に十月の神在祭に集まった全国の神の宿舎となる東十九社と西十九社がある。これは祖霊が集合した各地の国魂が、自分の子孫に合った結婚相手を見付けに出雲に集まるという俗信にもとづくものである。

このような大国主命が、大黒天と融合して人びとのより身近な福の神となっていったのである。