武装した弁財天
福の神として祭られた日本の弁財天は、穏やかな表情をした美女の姿をしている。しかしインドでは、武装して恐ろしい表情をした弁才天の像が多く作られた。本来インドの神の多くは、悪鬼を退けて人びとを守るものとして信仰されてきた。そのためインドには川の神サラスバティー(弁財天)が、悪神阿修羅を退治したとする話が伝わっている。
そのため日本でも阿修羅と戦った時の姿を表現した、八本の腕を持つ弁財天像も作られた。東大寺法華堂の八臀弁財天立像は、八本の腕に矛、剣などの八通りの武器を持った姿をとつている。
弁財天は、多様な性格を持つ仏である。弁財天を戦闘の神とする説のほかに、弁財天を全世界の母と位置づける文献もある。しかし日本ではじだいに弁財天は美の女神、音楽、芸能の女神としての性格が強調されるようになっていった。
日本に入った弁財天信仰
日本では弁財天像が神秘的な天女の姿をとる場合が多い。これは日本人が弁財天を美の神、音楽、芸能の神として受け入れて、彼女の服装を最上の美女とされる天女のものにしたことによるものである。川の水が美しい花を咲かせることから、インドで川の神が美の神とされることもあった。また川の心地良いせせらぎの音が、音楽に通じるものとされて川の神が音楽の神ともなった。
奈良時代の日本で弁財天は、吉祥天とならぶ美しい仏と考えられていた。さらに平安時代の貴族社会でも音楽が重んじられると、貴族たちが弁財天に笛や琵琶の上達を願うようになった。
平安時代に音楽上達の神としての弁財天信仰が広まったのちに、弁財天はさまざまな神仏と融合して多様な性格を持つようになっていった。