昔は「おせち料理」は神様にお供えした後で下ろし、家族が食べたものだったそうです。
神様へのお供えを頂く形での、難しく言うと「神人共食・神と人が共に食する」と言う祈りの形だったとか。
米文化の日本では、「ハレの日の正月」に米や餅を中心にした山海のめでたい味を調え、自然に感謝する意味をも込めたのでしょう。
全ての料理に祈りの意味がある
お正月とは切り離せないお祝い膳である「おせち料理」は、「年神様」へお供えする料理でもあり、また家族の幸せを願う縁起物の料理ともされています。
近年では手造りされることは少なくなって、暮れ近くなると「おせち料理商戦」が華々しくなりますが、本来は様々な素材を何日にも渡って手を掛け、「歳神様にお供えし、そして家族で楽しむ」ために作ったものです。
料理のそれぞれにひとつひとつの意味合いがあり、全てに「五穀豊穣、子孫繁栄、家族の安全と健康」などの祈りを込め、山海の幸が盛り込まれているのです。
寒い季節のことですから、何日かに渡って日持ちのする料理から造り始め、大晦日の遅くまで主婦は大変だったことでしょう。
宅配などの簡単な「おせち料理」になりつつある現在ですが、家族環境は大きく変化していても、詰め込めれている料理の「めでたい由来」はそのままのようです。
紅白蒲鉾は「日の出」を表し、伊達巻は大事な文書などの「巻物」を、栗きんとんは「黄金色の財宝」と「勝ち栗」という縁起物を、黒豆は「まめに働く」の語呂合わせで健康を、昆布巻きは「よろこぶ」の言葉にかけて長寿を、数の子は子孫繁栄を、田造りは五穀豊穣を、それぞれが表しているとされています。
例えどなたが調理したものでも祈りの心は全て同じですから、一口ずつでも食べることで「歳神様」への感謝と、今年一年の無事を祈りたいものですね。
節句に作られた料理
近年のお正月の「おせち料理」は、お正月にいただく料理になりましたが、元々は違っていました。
『節句に作られる料理』という意味があったのです。
難しい由来などは省きますが、簡単に言って分かりやすいのは「桃の節句」「端午の節句」などの季節の変わり目にあたる祝日のことで、平安時代には節日に朝廷で「節会・せちえ」という宴が催されていました。
元日は、「節会」の中でも別格のめでたい日とされ、それが庶民にも広まった結果、一年でも一番大切な日である「お正月」に作って食べるご馳走を『おせち料理』と呼ぶようになったとのこと。
「おせち料理」は、年神様をお迎えする「大晦日」にお供えをします。
そして、年が明けた元日に家族全員で「神様からのおさがり」をいただくのです。
神様に供物を捧げて祈る三日間は、炊事をしない風習があったために、日持ちのする料理を年末にたくさん作っておき、「三が日はその料理で過ごす」という慣わしだったようです。
主婦が大変だから、「三が日はゆっくり」と言う意味合いではなかったのですね。
でも宅配の「おせち料理」であっても、雑煮や餅料理は手造りにしたいもの。
昔と比べたら、ものすごく楽にはなっているのですから…。
お屠蘇はお薬の酒
全国的には少なくなっているのでは、と思えるのが「新年の膳に欠かせない」とされていた「お屠蘇」です。
朱塗りの酒器セットを見る機会も多くはないようですし、核家族化した昨今では珍しくもなっているのではないでしょうか。
酒と言えば、お屠蘇ではなく日本酒やビール・ワインなどが一般的で、もしかしたら『お屠蘇』自体を知らない世代もいるのかもしれません。
「屠蘇」は「悪鬼を屠り、死者を蘇らせる」という意味がある、すごいお酒だそうです。
正式名は「屠蘇延命散・屠蘇散」といい、十種類近くの生薬を合わせたもので、これを日本酒やみりんに浸して、成分を抽出させたものだとか。
正月元日に、一年の健康長寿を願う薬酒だったのです。
生薬の効能でその薬効果はさまざまだったようですが、一般的には「風邪予防のため」「健胃薬」として効くといわれていた様子。
お正月休みに羽目を外しての、食べすぎ飲みすぎが心配にもなりますから、お屠蘇という薬酒が「用心のため」に服用するお薬と言うのは、非常に納得してしまいます。
でも、本来の意味とは少しずれているようにも感じますが…。
雑煮でいただく歳神様のご利益
簡単に言うと、歳神様にお供えしたお餅のご利益をいただくために作るのが「お雑煮」だそうです。
元旦に初めて汲む「若水」を使用する、のが本来の習わしとか。
井戸水の少ない現代では、ウォーターサーバーやボトルの水くらいしか、「天然の水」はありませんが…。
地方によって、実に多くの「雑煮」があるようです。
また地方は一緒でも、家庭ごとにその味わいは違ってきます。
味わいはそれぞれ違っても、「歳神様からのご利益」は、等しく全ての人々がいただくわけですから問題はありません。
祝箸で厄を払う
お正月の料理では、箸にさえ意味があることを知りました。
材質は「柳」で「厄を払う」意味合いがあるそうです。
普通の箸とは形が違っていて、両方の先端が細くなっていますが「歳神様と共に食事をする」と言う意味合いがあるとか。
片方ずつを使うようにできているようで、中ほどが太めになっているのは、米俵を意味し五穀豊穣を祈るためだそうです。
また「はらみ箸」とも呼ぶようで、子孫繁栄も表しています。
この祝箸は、使用する度に自分で洗い清め、松の内は同じ箸を使用するとのこと。
七日間も使うとは、思っていませんでした。
だいたい三が日と呼ばれる三日間くらいだと思っていましたから、ご馳走はなくなってしまうかも知れませんが…。