曖味な形で融合する女神たち
吉祥天は『金光明最勝王経』に従って財運をもたらす仏とされ、かつては七福神の一柱とされることもあった。しかし弁財天信仰の高まりの中で、吉祥天の福の神としての部分が弁財天に吸収されていった。
これと同じことが、天釦女命にも起こったと、私は考えている。天錮女命は芸能の神として祭られ、人びとに笑顔をもたらすものとされた。かつて「自女命」の名で、天錮女命を七福神とすることもあった。室町時代に流行した「笑いが福を呼ぶ」という考えによつて、天錮女命が七福神とされたのだ。
天岩戸と七福神
天錮女命は、日本神話の中の天岩戸物語の中で重要な役割をはたす神である。この物語は、太陽の神、天照大神が怒って天岩戸に籠ったために世界は間に包まれたところから始まる。
この時、高天原の神様たちは、岩戸の前で祭りを行ない、天錮女命に踊らせた。神々が錮女の滑稽な踊りを見て笑い声をあげたところ、天照大神が天岩戸を開き、世界は再び明るくなったとある。
この神話は笑顔が神々を喜ばせて、災いを退けると説くものである。室町時代には天錮女命の顔を表わすお多福の面が、狂言、神楽などの多様な芸能に使われ、人びとを楽しく笑わせた。
天錮女命は芸達者な上に、強い神であった。彼女は地上に降る瑣々杵尊(天照大神の孫)のお供を務め、巨体を持った猿田彦命を従えたとある。
このような天釦女命は、武神であり芸能の神である弁財天と共通する性格を有していた。そのため、弁財天信仰の広まりによつて、天錮女命を福の神としていた者の多くが弁財天を信仰するように変わったとみられる。