稀に現われる南極星
中国や日本では、カノープス(南極星)はめったに見られない。その星は、限られた時期にだけ地平線の近くに現われるのである。
そのため古代中国では、南極星の出現は、きわめてめでたい出来事と考えられた。紀元前97年に成立した中国最古の歴史書である『史記』に、次のような興味深い記事がある。
「地平線近くに南極老人という大きな星があり、この星が現われた時は天下泰平となる。この星が現われないと、兵乱が起こる」というのである。しかし南極星が見えない期間の方がはるかに長いのであるから、その間ずっと戦乱が続いたわけではあるまい。
『史記』と同じ頃成立した『元命芭』という予言書に、「老人星が人びとの寿命を支配する」と記されている。中国の皇帝は、古くから南極星は国家の安泰や皇帝の寿命をつかさどる星だと考えていた。
そのため古代中国の皇帝は、寿生祠などと呼ばれる祠堂や祭壇を設けさせて、役人に南極星を祭らせた。
日本の南極星信仰
古代中国の南極星信仰は、日本にも伝えられた。日本では南極星は春分の夕方と秋分の明け方にだけ、南の地平線に現われる。
平安時代はじめに当たる延暦32年(803)に、老人星が現われたとする記事が、『類衆国史』に見える。この時陰陽道に通じた陰陽寮の役人が、天皇に「老人星は吉である」と述べたとある。『類衆国史』は、『日本後紀』という大部分が失われてしまった朝廷の公式の歴史書の一部を伝える書である。古代中国では、南極星(老人星)の祭りは国家の祭祀として行なわれていたが、これ以後日本でも、南極星の祭りが行なわれたのであろう。さらに個人の南極星信仰が盛んになるのは、平安時代末にあたる12世紀以後のことであろう。